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わたしを生きた日 “the perks of being a wallflower"

わたしを生きた日

たとえば、わたしをきらいな人がいて

たとえば、わたしを否定する人がいて

たとえば、わたしを拒絶する人がいて

それでもいいんだ

わたしはわたしを生きている

わたしをよく思わない人なんて

わたしにはいらない

しったこっちゃない

むしろこっちから願い下げだ

ほんとは心底叫びたいけど

心の中でいってやるfuck you

わたしを好きでいてくれる人がいる

わたしを受け止めてくれる人がいる

わたしをすてきだといってくれる人がいる

それでいいんだ、

それだけでいいんだ

そんなひとたちをわたしは大切にしたいと思う

ほかの、わたしを悲しませる人に

わたしはエネルギーを使わない

それ以上に、わたしはもっともっと

わたしの大好きな人を、

わたしの大切な人を、

おもいたい

まもりたい

あいしたい

どんなわたしだってわたしなの

まずわたしがわたしを受け止めて

まずわたしがわたしを認めてあげて

まずわたしがわたしを大切に思って

図々しく生きよう

堂々と生きよう

幸せに生きよう

わたしを生きよう

誰にならなくていい

誰にもならなくていい

わたしがわたしとして生まれてきて

わたしがわたしとして生きているということに

悪いことなんてひとつもない

わたしはわたしでいいんだ

そしてあなたはあなたでいいんだよ

そのままのわたしをあいしている

そのままのあなたをあいしている

wallflower.jpg

そんなことを思っていて、この映画をつけてみた。

最近みて、すごく心に響いた映画の一本。

この映画は、いまわたしが言いたいことが詰まっている気がする。たとえどんなでも、なにを抱えてても、相手を思って、相手を好きなら、誰にどう思われようと、何をされようと、相手を受け止めたい、大切に思って繋がっていたい、と思う気持ち。愛したい、守りたい、と思う気持ち。ジャッチなんてしない。ただまっすぐで素直な気持ち。

周りなんて、他の否定的な声なんて、関係ない。

ただ、ありのままのその人を、見て、聞いて、知って、触れて、感じて、受け入れて、愛して、一緒にいるということ。大切に思い、思ってくれる、そういうひとだけ、いてくれればいい。あなたはあなたでいいんだよ、と。

すてきだ。

生きてるって思える。きっと。

そう、生きたい。

映画が、本が、空が、海が、マリリンが、所さんが、江國さんが…いつも教えてくれている。

心に寄り添っていてくれるわたしの大好きなひとたちが、いつも伝えてくれている。

そんな、すてきな言葉や愛や優しさにわたしはいつも囲まれているのに、

ときどき無性に悲しくなったりして、

忘れちゃうんだよね。

弱気になったり、ネガティブになったり、しちゃうんだよね。

だから、あらためて言葉にしてみた。

自分を責めたり、自分を否定したり、自分を卑下したり、もうわたしのためにやめてあげたい、とおもう。人にそうされるのがいやなら、まずわたしがやめてあげよう、って。

“わたし”をきちんとひとりの人間として、扱ってあげよう。

あなたはあなたでいいんだよ、と言ってもらえることが、どんなにやわらかな喜びで、どんなにあたたかな幸せなことか。

まずは、わたしがいってあげよう。

そう決めて、わたしを生きた日。

泣いてるわたしだっていいの。

逃げてるわたしだっていいの。

怒ってるわたしだっていいの。

攻撃が最大の防御でもいいじゃない。

なんだって、どうなったっていいじゃない。

人にどう思われてるかとか、よく思われたいとか、正しさを求めたりとか、そうゆう批判や憶測や自意識とかを払拭して“気にしないで”いるのって、なかなかむずかしいけど

すこしずつ自信を持ってわたしを生きられたらいい。

ほんと、すこしずつでいい。

焦らないで。

そして、おなじような苦しみを持っている人にも、

伝えたいとおもう。

あなたはあなたでいいんだよ、と。


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