わたしにはわたしが必要だから。
あの日、わたしは京都に向かおうとしていた。
あれはおそらく冬だった。
16歳の冬だった。
先輩の部屋にはこたつがあったし、その上にはミカンが置いてあったし、わたしは裏地が派手な黒のロングのダウンコートを着ていたから。
でも寒かった記憶は皆無だ。
早朝だったのに。
ちょうど通学や出勤の時間だった。
わたしは遡上する鮭のように、ものすごい形相で、涙や鼻水を垂れ流しながら、おうおうと唸り嗚咽を繰り返して、それでも世の中の流れに必死で逆らいながら歩いていた。
おそらく、温度を感じる身体の機能が一時的に欠落していたのだと思う。
吐いた息は白かったのかもしれないが、つめたかったかどうか思い出せない。
どうしても、温度を思い出せない。
あの日、わたしの肌にだけ空気が触れていなかったんだと、今考えるとおもう。
考えられる原因といえば、なにかに守られていた、といえば聞こえはいいが、世の中から遮断されていた、(もしくは自らが拒絶していた)のかもしれないし、ただ五感の比重が極度に偏っていただけかもしれないし、わたしが向ける意識の矛先から単にその機能が完全に抜け落ちてしまっていたのかもしれない。
どうしても、思い出せないのだ。
あの日、お昼過ぎごろ、全員が出払って一人きりになったのを見計らって、家を出たのだ。
リュックを背負って、通帳を持ち、なけなしの、でも当時のわたしにしてみれば、最大限のお金をもって、家を出たのだ。
馬鹿みたいにかっこつけた置手紙を書いて。
自作自演だったといっても過言ではない。
思い出しても、赤面してしまうほど青く脆かった。
息を吹きかけただけでも、今にもガッシャーンとくずれそうな、穴ぼこだらけのジェンガのように。
普段歩かない道をふらふらと行き、坂道を下って、橋の上から川を眺めた。
よく晴れた天気のいい日だった。
一日、歩き回っていたのだろうか。
たしか、その朝、わたしは大泉に住むママ(母方の祖母)に電話をして、今日行ってもいいか、しばらく泊めてくれないか、と頼んだのだった。
泊るのは構わないけれど、お母さんにちゃんとそのことを言いなさいとママは、ぴしゃりと言いはなち、わたしはふてくされて、わかった、大丈夫、と電話を切った。
どういう経緯で先輩の家に行ったのか、思い出せないのだが、その夜、わたしは先輩の家にいた。
ラップに包んだ、ホットケーキを数枚持っていて、おなかがすいたらこれを食べてしのごうとおもっていた。
テレビゲームをしている先輩二人の後頭部をわたしはベッドの上に居心地悪そうに小さく座り込み、眺めていた。
こたつの上には、雑多にものが置かれ、みかんや飲みかけのペットボトル、雑誌や漫画、お菓子のごみなどが我が物顔であきらかにわたしよりも強気な姿勢を見せていた。
深夜、ふたりはごろんと横になり、眠りこんでいる先輩を眺めていた。
眠れなかったのだ、どうがんばっても、わたしは眠れなかった。
いや、眠りたくなかったし、眠ろうともしなかった。
ハリネズミのように全神経が、そばだっていた。
痛々しいほどだったとおもう。
わたしの皮膚から細くうにゃうにゃとした無数の神経が、飛び出してぐるぐるにまとわりついていたのが、目に見えていたくらいだろう。
どうやって眠ればいいのか、わからなかった。
当時私は睡眠薬を服用し、簡単に言ってしまえば不眠症だった。
丸二日、眠らずに考えてその日、三日目にわたしは決行したのだ。
そして、その三日目も、眠らずに朝を迎えることになった。
眠らずに朝を迎えることはしょっちゅうだったし、そのたびにいつもベッドの中で小さく丸まってただひたすら耐え続けていた。
その日はベッドの上に座ったまま、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
朝になる前に、出て行こう。
先輩に迷惑はかけないように。
眠っている間にこっそりとでていこう。
当時の私は、こっそり出ていくことが、迷惑をかけないことだと思っていた。
そんなこと、逆に心配をかけるというのに。
眠らずにわたしはこの後の身の振り方についてきっと真剣に考えていた。
そして、そうだ、京都へ行こう。と思ったのだ。
なんだか、聞いたことがあるし、
そうだ、京都に行こう。
きっと京都はそうやって思い立って行く場所なんだろう。
京都には、中学校の時に修学旅行で行ったことがあったし、京都ならお寺がたくさんあってきっと退屈せずになにか見つけられるだろう、とかものすごく安易に考えた。
あの時のわたしの頭で、考えられる一番遠い場所で、唯一すこしだけ知っている場所が、京都であった。
なんて、陳腐な考えだろうと、今考えれば思うのだが、あの時の私にとっては本当に真剣に考え抜いてだした苦肉の策だった。
朝方、ベッドの上で、わたしは化粧をし始める。
なるべく音をたてないように、こそこそと。
そんな状況でも、化粧をして外に出ようとしていたんだな、と考えると笑ってしまいそうになる。
薄暗い中で、小さな鏡を覗き込みながら不自然な格好で懸命に化粧をしていたわたしを、ありありと思いだせる。
そして、そのわたしを思い浮かべるたびに、わたしはなりふりかまわず苦しいほど強く抱きしめてやりたい衝動に突き動かされる。
必死でなにかを隠そうと、取り繕うと、苦し紛れの虚勢を振り絞ってわたしは強さを被ろうとしていた。
結局、先輩たちはわたしががさごそと出て行こうとしていることに気づいて、家に帰るというわたしを疑って、後をついてきてくれていた。
あきらかに家ではない方向に向かうわたしを問い詰めて、京都にいくんだ、と白状したわたしはこっぴどく叱られ、かかえられるかのように家に連れ戻された。
早朝、スーツや制服の人たちが足早に仕事や学校に向かう中、見苦しいほど泣き崩れたわたしをほとんど引きずるような形で先輩たちが両脇でささえながら、見慣れた家までの道のりを歩いた。
もしかしたら、わたしの姿がさらされないように、隠そうとしてくれながら。
冬の澄んだ朝なのに、わたしはこの道も人もお店もすべてが憎たらしいとおもい、どうしようもできないふがいなさに、いわれようのないかなしみに、体全部が隅々まで浸食されていた。
あの時、わたしは、この世の終わりであるかのように、途方もなくぐにゃぐにゃになっていたし、ありとあらゆる悲しみや怒りや恐怖や得体のしれないあれこれを、この小さな体にバズーカーのように一気にくらって、真っ向から引き受けてしまったみたいな、無防備で完全に壊れてしまっていた。
家について、母が先輩たちにひたすら謝り、お礼を言っているのが聞こえたが、わたしは先輩たちの顔を見れずにそろそろと背中を向けて、家という小さな箱に自ら収容されに行った。
そのままベッドにもぐりこみ、わたしはこれでもかと泣いた。ただただ声をあげて世界を呪うかのように、泣き続けた。
そして、そのままきっと眠ってしまったのだと思う。
三日も寝ていなかったのだ。
どれくらい眠ったのだろう。
おそらく、気が遠くなるほど眠ったと思う。
そのあとのことは覚えていない。
目が覚めたことさえ、記憶にない。
いま、こうやって生きているので、きちんと目を覚まして、立ち上がり、きっと何かを口にしたのだろう。
でも、どこをどう探っても、わたしの記憶では、目を覚ましたその瞬間を見つけられない。
あの日、家出を試みたことは、強く残っているが、どうしてそうなってしまったのか、また、そこから、どうやっていまここまで来たのか、正直なところ、思い出せないのだ。
断片的に、みえる映像はあるにせよ、確実にわたしは記憶を抹消している。
無意識に自ら抹消してしまったのか、それとも、幽体離脱のようにすり抜けたわたしの人型に誰かが入りこんで、もしくは誰かが代わりに、わたしをやっていてくれたのか、そんな風にも思える。
あの日、もし、先輩たちが家に連れ戻してくれなかったとして、本当に京都にいっていたら、わたしはどうなっていたのだろう、と時々想像する。
たった三万円ほどぽっちをもって、わたしは京都でさまよっていたのだろうか。
誰かに拾われていただろうか、どこかで働いたりしていたのだろうか。
それとも、道路に座り込んでいるわたしを京都の警察が不審に思って補導されていただろうか、それだけは絶対に勘弁だ。
もしくは、ママがしばらくママんちに置いてくれて、ママと生活をしていたら。
今のわたしは、どうなっていただろうか。
あの日、わたしは目が覚めなかったのではないか、と今思っている。
あの日、わたしは先輩に家に帰されて、そのまま泣きながら眠り、ただ眠り続けたのではないか。
あの日、わたしは死んでしまったのではないか。
あの頃の、わたし、を思うと、めまいがするほど苦しくなる。
他人事には思えずに、ひどく胸が締め付けられる。
あれ?他人事?
わたしのこと、だよね?
不思議な感覚だ。
まるで、わたしはそれを近くでただ見ていたひとみたいな気分になるのだ。
手も出せずに、声もかけれずに、ただただ見ていた、少し離れたところで、一定の距離を保ちながら、決して触れられるところまでは入り込まずに、ただ傍観していた、そんな気分になるのだ。
わたしが分離されているように感じる。
今、生きているわたしが、確かに経験した、確かに歩いてきた道のりであるはずなのに、明らかに傍観者なのだ。
あれから、10年が経とうとしている。
10年。
わたしがわたしの中に、入れない。
でも、わたしにはわたしが必要なのだ。
絶対的に、わたしにはわたしが必要だから。
すこしずつ、わたしは私の中に入っていってあげたい、とおもう。
それは、もしかしたら、悶絶するような暗く汚い闇かもしれない。
けれど、わたしにはわたしが必要だから。
photograph: yuri nanasaki
hair&make: kazumi hasegawa
2014
Life is hard, that's why, happy.
love,
xoxo
risako